野球まるごとチャンネル

野球オタクがお送りする、野球好きのためだけに作られたブログです。
NPB、MLB、高校、大学、社会人と全ての野球関連の記事と最新の道具やオススメの道具をご紹介いたします。

    カテゴリ: 高校野球


    「夏の選手権第85回大会」ダルビッシュ有が散った歴史に残る大投手戦


    なぜ、あきらめたのか 監督が伝えた甲子園の「忘れ物」 - 朝日新聞
    甲子園の大舞台、延長十五回裏。熱戦に終わりを告げる打球が左側を抜けていった。終わった。一瞬の静寂の後で胸に去来したのは「なぜ、あの時あきらめたのか」。打球に ...
    (出典:朝日新聞)


    いい選手だったなぁ

     2003年の夏の選手権第85回大会は、ある1人の2年生エースに話題が集中した大会となった。“みちのくの雄”東北(宮城)の快腕・ダルビッシュ有シカゴ・カブス)である。

     このダルビッシュを擁し、深紅の大優勝旗の初の“白河の関越え”を狙って甲子園に乗り込んで来たチームは、初戦で筑陽学園(福岡)に11‐6、2回戦の近江(滋賀)に3‐1と勝利し、3回戦に進出。そこで激突したのが、ダルビッシュ同様に2年生エースで勝ち進んできた古豪・平安(現・龍谷大平安=京都)であった。

     平安のマウンドを守っていたのは左腕・服部大輔。その力投で、1回戦・2回戦と前々年度、前年度の夏の優勝校である日大三(西東京)を8‐1、明徳義塾(高知)を2‐1と連続撃破していた。そしてこの服部とダルビッシュは中学時代、同じ関西のボーイリーグでしのぎを削っていた仲だった。さらに前年秋の明治神宮大会では、この両チームが対戦。2‐0でダルビッシュが投げ勝っていた。そんな因縁のある2人が大甲子園であいまみえたのだ。そして、試合は想像を絶する大投手戦が展開されることとなるのである。

     立ち上がり、両投手ともピンチを迎える展開に。1回裏、東北は先頭の家長和真が四球で歩くと、盗塁と犠打で1死三塁と先制のチャンス。だが、続く3、4番が服部の前に連続三振に倒れ、無得点。かたや平安も2回表に4番・西野隆雅の左前打から1死二塁とするも、後続がダルビッシュの前に三振、二ゴロに倒れ、こちらも得点ならず。

     ここから両投手が壮絶な奪三振ショーを繰り広げていく。5回を終えてダルビッシュ奪三振8、被安打1。対する服部は奪三振11、被安打2。これが両軍スコアボードに0を18個並べた時には、ダルビッシュ14奪三振被安打2。服部も負けじと16奪三振被安打5。ダルビッシュは3、4、6回に四死球、7回には左前安打で走者を許し、そのたびに平安ベンチの仕掛けた盗塁で揺さぶられたが、「二塁に行かれても後続を打ち取ればいい」と割り切り、決して本塁を踏ませなかった。対する服部も9回裏に自軍内野陣のエラーで1死二塁と一打サヨナラピンチを招いたが、このあと左飛、三振で切り抜ける。こうしていつ果てるとも知れぬ奪三振合戦は延長戦へと突入していったのである。ちなみに9回まで両軍合わせて30三振は、当時、実に78年ぶりとなる三振記録であった。

     迎えた10回表。ダルビッシュは平安の攻撃を三振、投ゴロ、四球⇒盗塁死で無得点に抑える。対する服部もその裏の東北の攻撃を三振、一ゴロ、二ゴロと三者凡退に。続く11回表。平安の攻撃を中飛、二ゴロ、左飛で終え、ダルビッシュはつけいるスキを与えない。

     だが、幕切れは突然訪れた。その裏、東北攻撃陣は先頭の2番・宮田泰成が左前安打で出塁し、犠打で二塁へ。その後、後続が投ゴロから死球でつなぎ、2死ながら一、二塁と一打サヨナラチャンスをつかんだのだ。打席には6番・加藤政義。その4球目、バットが一閃すると打球は三遊間突破のサヨナラの適時打となって左前へ。両投手合わせて計32奪三振という壮絶な奪三振合戦の幕がここにようやく降りたのである。

     実にダルビッシュ15奪三振、そして紙一重の差で敗れた服部はその上を行く17奪三振。もはや意地だった。ダルビッシュは、普段は変化球を決め球に使うことが多かったのだが、この試合は服部の投球に触発されたのか、直球主体に押す力の投球に終始する形となっていた。また、そんなダルビッシュに負けまいと競った服部。この32奪三振は互いがたがいの力を高め合った結果にほかならなかったのである。

     この試合で勢いに乗った東北はそのまま勝ち進み、決勝戦へと進出。だが、名将・木内幸男監督擁する常総学院(茨城)の前に2‐4で惜敗し、準優勝止まり。この翌年も春夏と甲子園にやって来たが、優勝にはついに手が届かず。優勝旗の“白河の関越え”の夢は叶わなかったのだ。

    高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=

    アサ芸プラス


    (出典 news.nicovideo.jp)

    【「夏の選手権第85回大会」ダルビッシュ有が散った歴史に残る大投手戦】の続きを読む


    甲子園で多投した投手のその後は?張本氏、大船渡高校監督に「アメリカ流」「間違っている」と猛批判!


    【球数制限を考える】気になる甲子園で多投した投手のその後 - ベースボールキング
    高校野球時代の投手の酷使が、その後の選手生活にどのような影響を及ぼすのかについて、客観的なデータはない。 しかし、甲子園で多くの球数を投げて奮闘したが、 ...
    (出典:ベースボールキング)



    (出典 baseballking.jp)


    安楽も変わり果ててしまったし、確かに投げすぎはダメなんだろうな。

     28日放送の『サンデージャポン』(TBS系)で、張本勲氏が、全国高校野球選手権・岩手県大会決勝・花巻東高校戦で佐々木郎希投手を温存し、敗戦した大船渡高校・国保陽平監督を激しく批判した。

     番組では、25日に行われた全国高校野球選手権・岩手県大会決勝・大船渡高校対花巻東高校の模様を取り上げ。最速163キロ右腕で、「令和の怪物」の異名を取るエース佐々木投手は、前日の準決勝で129球を投げたことから、国保監督の判断で先発させなかった。

     試合後のインタビューに答える佐々木投手は涙を浮かべ、「投げたかった」と告白。必ずしも投げなかったことが本意ではないことを窺わせた。

     この様子を見た張本氏は、「最近のスポーツ界でね、これが一番残念だと思いましたよ」とコメント。さらに、佐々木投手が準決勝で129球投げたことに触れ、「前の日に129投げてますがね、だいたい予選で4回しか投げてないんですよ。合計450くらいしか投げてない。吉田輝星は800くらい投げている」と捲し立てた。

     さらに、「監督と佐々木くんのチームじゃないから。一緒に戦ってるナインは。1年生から3年生まで必死に練習してね、やっぱり甲子園は夢なんですよ 」と監督の判断をバッサリ。

     そして、自身は甲子園に出られず、悔しさから泣いたエピソードを明かし、「先発させてナインにね、早く点取ってやれよと、3点でも5点でも。そしたら、代えてやることもできるんだからと。私は間違いだと思いますよ」と国保監督の判断を厳しく批判する。

     また、国保監督が現役時代アメリカ独立リーグプレーした経験を持つことにも触れ、

     「アメリカ独立リーグにいたんですよ、監督は。だから、アメリカ流に考えてるんですよ。アメリカは消耗品だと思ってるから。東洋人は投げて投げて力をつける。タイプが全然違う」

     と国保監督の野球理論についても一刀両断した。

     張本氏の独自理論に、ネットユーザーの反応は賛否両論。「佐々木が壊れたらどうするんだ」「まさに老害の考え。時代に合ってない」「部外者は黙っていてほしい」と批判的な声も上がったが、「投げさせるべきだったと思う」「みんなが甲子園を目指して練習してきたのに、監督がその夢を潰すのはおかしい」「本人が投げたそうにしていた。それを止めるのはおかしい。張本さんは正しいと思う」など、賛同する声も多かった。

     様々な意見が飛び交う事態となっているが、この日ゲスト真中満東京ヤクルトスワローズ前監督は、自身も「投げさせたかった」とした上で、登板回避の要因について、「決勝まで連戦の続く日程」を挙げている。仮に岩手県大会の準決勝・決勝が連戦でなく、1日にでも休みがあれば、佐々木投手は登板できたはずで、この指摘が最も正しいという声が多かった。

     結局のところ、高野連の怠慢が招いた「悲劇」と言えるのではないだろうか。

    張本勲


    (出典 news.nicovideo.jp)

    【甲子園で多投した投手のその後は?張本氏、大船渡高校監督に「アメリカ流」「間違っている」と猛批判!】の続きを読む


    履正社が3年ぶりの甲子園へ!試合詳細は?



    (出典 amd.c.yimg.jp)


    惜しかったなぁ

    新たに16校の甲子園出場が決定、大阪では履正社と金光大阪が決勝へ

     第101回全国高等学校野球選手権大会は28日、各地で地方大会が行われ、新たに16校の甲子園出場が決定。また、大阪大会では履正社、金光大阪が決勝進出を決めた。

     激戦となったのは石見智翠館と開星が対戦した島根大会決勝。5-5のまま延長戦に突入すると、13回に開星が2点を勝ち越し。しかし、その裏に石見智翠館が同点に追いつき、最後はサヨナラ押し出し四球で決着。8-7のサヨナラで4年ぶり10度目の夏の甲子園出場を決めた。

     石川大会決勝では、星稜が6-2で小松大谷を下した。プロ注目右腕の奥川が9回2失点14奪三振と快投。同点の9回2死満塁のチャンス東海林バックスクリーン右へ満塁弾を放ち、2年連続20度目の夏の甲子園出場を決めた。大船渡・佐々木朗希、横浜・及川雅貴、創志学園・西純矢とともに“高校四天王”と呼ばれる奥川だが、ほかの3投手が地方大会で敗退する中で聖地へと駒を進めた。

     神奈川大会決勝では、東海大相模が24-1の大勝で日大藤沢を下し、4年ぶり11度目の出場。福島大会決勝では、聖光学院が2-0で日大東北を破り、戦後最長の甲子園出場記録を「13年」に伸ばした。宮城大会決勝では仙台育英が東北との乱打戦を15-10で制し、3年連続28度目の甲子園切符。高知大会決勝では、明徳義塾が高知を4-1で破り、2年ぶり20度目の夏の甲子園出場。高知のスーパー1年生・森木大智投手は甲子園出場はならなかった。

     また、作新学院(栃木)、花咲徳栄(埼玉)、国学院久我山(西東京)、津田学園(三重)、立命館宇治(京都)、岡山学芸館(岡山)、高松商(香川)、海星(長崎)、藤蔭(大分)、神村学園(鹿児島)も甲子園出場を決めた。

     大阪大会では、準々決勝で大阪桐蔭を破った金光大阪が7-0で東海大仰星に7回コールド勝ち。履正社は近大付に7-2で勝利した。29日の決勝戦では、金光大阪は2007年以来12年ぶり2度目、履正社は3年ぶり4度目の夏の甲子園出場を目指して激突する。(Full-Count編集部)

    28日は新たに16校が甲子園出場を決めた


    (出典 news.nicovideo.jp)

    【履正社が3年ぶりの甲子園へ!試合詳細は?】の続きを読む


    高校野球大阪大会決勝!大阪桐蔭を破った金光大阪の強さの秘訣!


    金光大阪がんばれ

    金光大阪は12年ぶり、履正社は3年ぶりの夏の甲子園を目指す

     第101回全国高等学校野球選手権大会は28日、各地で地方大会が行われ、大阪大会は金光大阪と履正社が決勝進出を決めた。

     準々決勝で大阪桐蔭を破った金光大阪は、7-0で東海大仰星に7回コールド勝ち。3回に一挙7点を奪うと、辻本が7回無失点に抑え、決勝に駒を進めた。

     履正社は近大付に7-2で勝利。同点の5回に3点を勝ち越すと、その後も追加点を奪った。

     決勝戦は29日。金光大阪が勝てば2007年以来12年ぶり2度目、履正社が勝てば3年ぶり4度目の夏の甲子園出場となる。(Full-Count編集部)

    大阪大会決勝は履正社-金光大阪のカードに


    (出典 news.nicovideo.jp)

    【高校野球大阪大会決勝!大阪桐蔭を破った金光大阪の強さの秘訣!】の続きを読む


    佐々木朗希登板回避に苦情殺到?「ケガの深刻さは球速に比例する」大船渡佐々木の登板回避に元プロ野球エース2人は一定の理解


    佐々木朗希の起用法めぐり大船渡に多数苦情 警察の巡回要請も - livedoor
    高校野球・岩手大会決勝で、163キロ右腕・佐々木朗希を温存した大船渡。佐々木が登板せず敗戦を喫した件で、多数の苦情が届いていると分かった。中には学校に ...
    (出典:livedoor)


    警察が出動て、、、

    大船渡佐々木の登板回避に張本勲(79)は喝!「苦境に立たせることが本人のプラスになる」 から続く

     令和の初となる甲子園は、最速163キロ右腕の大船渡高校・佐々木朗希(ろうき・3年)投手の独壇場になるかと思われた。だが、岩手県大会決勝を肘の違和感から登板回避。「令和の怪物」の夏はあっけなく終わった。賛否両論の声が上がる今回の騒動をプロはどう見たか。

     まずは、浪商高(現・大体大浪商高)のエースとして、”ドカベン”こと香川伸行氏(故人)とバッテリーを組み、3度の甲子園出場を果たした牛島和彦氏(58)に聞いた。牛島氏は1979年ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。通算53勝64敗126セーブの成績を収めた。

    「当時は僕も仲間も甲子園に行きたいから必死でした。僕も春の選抜の延長戦で200球くらい投げて、翌日はバテバテになって体が全然動かなくなりました。そうなると体がしんどくなりますよね。体全体に張りがあって、全身筋肉痛みたいな感じで投げてましたけど、それが当たり前でしたから。僕なら投げていたかも知れない」

     牛島氏は2005年からの2シーズン横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)の監督も務めている。その経験から牛島氏は、大船渡・国保監督の采配に理解を示す。

    佐々木君は細身ですけど、ダイナミックに足をあげて体全身を使っているからあれだけのスピードを出せる。でも、160キロの球を投げれる分、当然ケガもそれに応じて深刻になるんですよ。やはりあれだけの素材なので、『肘がおかしい』と言われたら、私も投げさせていないかもしれないですね。仕方なかったかなという気がします。佐々木君自身は、試合に出れないのはしんどいと思いますし、仲間に申し訳ないという思いも強かったとは思いますが……」

    高校時代、同様の経験をした遠藤一彦氏の意見は?

     “伝家の宝刀フォークボールで最多勝を2度獲得した遠藤一彦氏(64)も、今回の佐々木投手と同様の経験をした球児の一人だ。学法石川高(福島)のエースで4番だった遠藤氏は、1977年ドラフト3位で横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に入団。通算134128敗58セーブの成績を収めた。

    「3年生の夏の福島大会は決勝までいきました。しかし、やはり準々決勝、準決勝と延長戦を投げていまして、決勝戦前に監督から突然『先発は2年生投手で行く』と言われたんです。ただ、私はこれが最後ですから、『すみません監督、投げさせてください』と直訴すると、監督は私の意をくんでくれて先発で投げさせてくれました。試合は1-2で敗退。けど、私としては悔いはなかった。勝てなかったのは自分の力のなさですから。心残りがなければ、私はいいんじゃないかと思います。

     投手の“痛い”“違和感”というのは本人にしかわからないので、監督の判断は正しかったと思います。ただ、佐々木君の『投げたかった』というコメントがあるように彼の気持ちの中でどうだったのかなっていうことは思いますね」

     一方で遠藤氏は、佐々木選手が打者として試合に出ていたら、展開は変わったかもしれないと指摘した。

    「彼は4番を打つバッターでもあるわけじゃないですか。そういう面ではどこか守りながら打撃の面でも出場ということもできたかなと思います。やっぱりみんなで甲子園を目標にやってきて、ベンチではなく佐々木君がグラウンドにいるだけでチームの雰囲気も違ったかもしれませんね」

    (「週刊文春」編集部)

    大船渡高校・佐々木朗希投手 ©文藝春秋


    (出典 news.nicovideo.jp)

    【佐々木朗希登板回避に苦情殺到?「ケガの深刻さは球速に比例する」大船渡佐々木の登板回避に元プロ野球エース2人は一定の理解】の続きを読む

    このページのトップヘ