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    履正社が3年ぶりの甲子園へ!試合詳細は?



    (出典 amd.c.yimg.jp)


    惜しかったなぁ

    新たに16校の甲子園出場が決定、大阪では履正社と金光大阪が決勝へ

     第101回全国高等学校野球選手権大会は28日、各地で地方大会が行われ、新たに16校の甲子園出場が決定。また、大阪大会では履正社、金光大阪が決勝進出を決めた。

     激戦となったのは石見智翠館と開星が対戦した島根大会決勝。5-5のまま延長戦に突入すると、13回に開星が2点を勝ち越し。しかし、その裏に石見智翠館が同点に追いつき、最後はサヨナラ押し出し四球で決着。8-7のサヨナラで4年ぶり10度目の夏の甲子園出場を決めた。

     石川大会決勝では、星稜が6-2で小松大谷を下した。プロ注目右腕の奥川が9回2失点14奪三振と快投。同点の9回2死満塁のチャンス東海林バックスクリーン右へ満塁弾を放ち、2年連続20度目の夏の甲子園出場を決めた。大船渡・佐々木朗希、横浜・及川雅貴、創志学園・西純矢とともに“高校四天王”と呼ばれる奥川だが、ほかの3投手が地方大会で敗退する中で聖地へと駒を進めた。

     神奈川大会決勝では、東海大相模が24-1の大勝で日大藤沢を下し、4年ぶり11度目の出場。福島大会決勝では、聖光学院が2-0で日大東北を破り、戦後最長の甲子園出場記録を「13年」に伸ばした。宮城大会決勝では仙台育英が東北との乱打戦を15-10で制し、3年連続28度目の甲子園切符。高知大会決勝では、明徳義塾が高知を4-1で破り、2年ぶり20度目の夏の甲子園出場。高知のスーパー1年生・森木大智投手は甲子園出場はならなかった。

     また、作新学院(栃木)、花咲徳栄(埼玉)、国学院久我山(西東京)、津田学園(三重)、立命館宇治(京都)、岡山学芸館(岡山)、高松商(香川)、海星(長崎)、藤蔭(大分)、神村学園(鹿児島)も甲子園出場を決めた。

     大阪大会では、準々決勝で大阪桐蔭を破った金光大阪が7-0で東海大仰星に7回コールド勝ち。履正社は近大付に7-2で勝利した。29日の決勝戦では、金光大阪は2007年以来12年ぶり2度目、履正社は3年ぶり4度目の夏の甲子園出場を目指して激突する。(Full-Count編集部)

    28日は新たに16校が甲子園出場を決めた


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    高校野球大阪大会決勝!大阪桐蔭を破った金光大阪の強さの秘訣!


    金光大阪がんばれ

    金光大阪は12年ぶり、履正社は3年ぶりの夏の甲子園を目指す

     第101回全国高等学校野球選手権大会は28日、各地で地方大会が行われ、大阪大会は金光大阪と履正社が決勝進出を決めた。

     準々決勝で大阪桐蔭を破った金光大阪は、7-0で東海大仰星に7回コールド勝ち。3回に一挙7点を奪うと、辻本が7回無失点に抑え、決勝に駒を進めた。

     履正社は近大付に7-2で勝利。同点の5回に3点を勝ち越すと、その後も追加点を奪った。

     決勝戦は29日。金光大阪が勝てば2007年以来12年ぶり2度目、履正社が勝てば3年ぶり4度目の夏の甲子園出場となる。(Full-Count編集部)

    大阪大会決勝は履正社-金光大阪のカードに


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    佐々木朗希登板回避に苦情殺到?「ケガの深刻さは球速に比例する」大船渡佐々木の登板回避に元プロ野球エース2人は一定の理解


    佐々木朗希の起用法めぐり大船渡に多数苦情 警察の巡回要請も - livedoor
    高校野球・岩手大会決勝で、163キロ右腕・佐々木朗希を温存した大船渡。佐々木が登板せず敗戦を喫した件で、多数の苦情が届いていると分かった。中には学校に ...
    (出典:livedoor)


    警察が出動て、、、

    大船渡佐々木の登板回避に張本勲(79)は喝!「苦境に立たせることが本人のプラスになる」 から続く

     令和の初となる甲子園は、最速163キロ右腕の大船渡高校・佐々木朗希(ろうき・3年)投手の独壇場になるかと思われた。だが、岩手県大会決勝を肘の違和感から登板回避。「令和の怪物」の夏はあっけなく終わった。賛否両論の声が上がる今回の騒動をプロはどう見たか。

     まずは、浪商高(現・大体大浪商高)のエースとして、”ドカベン”こと香川伸行氏(故人)とバッテリーを組み、3度の甲子園出場を果たした牛島和彦氏(58)に聞いた。牛島氏は1979年ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。通算53勝64敗126セーブの成績を収めた。

    「当時は僕も仲間も甲子園に行きたいから必死でした。僕も春の選抜の延長戦で200球くらい投げて、翌日はバテバテになって体が全然動かなくなりました。そうなると体がしんどくなりますよね。体全体に張りがあって、全身筋肉痛みたいな感じで投げてましたけど、それが当たり前でしたから。僕なら投げていたかも知れない」

     牛島氏は2005年からの2シーズン横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)の監督も務めている。その経験から牛島氏は、大船渡・国保監督の采配に理解を示す。

    佐々木君は細身ですけど、ダイナミックに足をあげて体全身を使っているからあれだけのスピードを出せる。でも、160キロの球を投げれる分、当然ケガもそれに応じて深刻になるんですよ。やはりあれだけの素材なので、『肘がおかしい』と言われたら、私も投げさせていないかもしれないですね。仕方なかったかなという気がします。佐々木君自身は、試合に出れないのはしんどいと思いますし、仲間に申し訳ないという思いも強かったとは思いますが……」

    高校時代、同様の経験をした遠藤一彦氏の意見は?

     “伝家の宝刀フォークボールで最多勝を2度獲得した遠藤一彦氏(64)も、今回の佐々木投手と同様の経験をした球児の一人だ。学法石川高(福島)のエースで4番だった遠藤氏は、1977年ドラフト3位で横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に入団。通算134128敗58セーブの成績を収めた。

    「3年生の夏の福島大会は決勝までいきました。しかし、やはり準々決勝、準決勝と延長戦を投げていまして、決勝戦前に監督から突然『先発は2年生投手で行く』と言われたんです。ただ、私はこれが最後ですから、『すみません監督、投げさせてください』と直訴すると、監督は私の意をくんでくれて先発で投げさせてくれました。試合は1-2で敗退。けど、私としては悔いはなかった。勝てなかったのは自分の力のなさですから。心残りがなければ、私はいいんじゃないかと思います。

     投手の“痛い”“違和感”というのは本人にしかわからないので、監督の判断は正しかったと思います。ただ、佐々木君の『投げたかった』というコメントがあるように彼の気持ちの中でどうだったのかなっていうことは思いますね」

     一方で遠藤氏は、佐々木選手が打者として試合に出ていたら、展開は変わったかもしれないと指摘した。

    「彼は4番を打つバッターでもあるわけじゃないですか。そういう面ではどこか守りながら打撃の面でも出場ということもできたかなと思います。やっぱりみんなで甲子園を目標にやってきて、ベンチではなく佐々木君がグラウンドにいるだけでチームの雰囲気も違ったかもしれませんね」

    (「週刊文春」編集部)

    大船渡高校・佐々木朗希投手 ©文藝春秋


    (出典 news.nicovideo.jp)

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